2015年4月16日木曜日

統一地方選挙前半

地方議会は民主主義の学校と言われる。何事も基礎が大切の意味だ。選挙前から関心が薄い、投票率が低いだろうと予想され、事実そうなった。統一率の低下も原因の一つだろうが、大阪橋下市長の恣意的な辞任による不要の選挙などによっても統一が崩されることがある。

今回ほとんどの選挙で最低投票率を記録してしまった。学校の試験でも6割は取らないと合格ではない。投票率が5割を下回っても成立する選挙の方がおかしいのである。さらに横浜市内でも県議選無投票があり、有権者が権利行使さえ出来ない状況が多発し、民主主義の根幹である選挙そのものの意義が問われている。また本来生活に関連する施策に関与する地方議会に、市民・有権者は関心が深いはずにもかかわらず抵投票率なのは、普段から議会、議員の姿が見えないのも原因だろう。議会は昼間開かれ、議員は公の行事や自身の後援会、労働組合や特定の団体といった普通の市民から見えないところでの活動が多いのも理由の一つ。アメリカの議会全てがい訳ではないが夜開催のケースも多い。市民が傍聴しやすいからだ。また多くの地方議会でその報酬も特権的でなく、ボランティア的なものもある。

どう考えても不適切な支出が頻発した政務活動費は言うに及ばず、東京都議会の費用弁償に見られる交通費の額も市民常識から外れている。また昨年の号泣県議や、最近発生した大阪の変な女性代議士を見るまでもなく、議員の資質を疑わざるを得ない例が多すぎる。大阪の場合比例代表の復活当選なのだから、所属政党から除籍されれば辞職が当然と思うのが常識だが、法律で議員を続けることが認められているから辞めない、と候補にした組織代表がよく言う法律で許される云々を返していて、その党の姿を現しているようなものだ。こうした議員、いや人としての品性が問われる事態にも主権者は呆れている。

今回の抵投票率はいわゆる無党派層の多くが民主党政権時のお粗末さに呆れ、自公政権に対するカウンターパワーとしての役割に期待せず、棄権してしまったと考えられる。一方投票者の多くは党を支持しているのではなくとも、はっきりとした物言いの共産党を批判勢力の受け皿にしたのだろう。

今回の結果を深刻に受け止め議員は誰のために仕事をしているのかを自問自答し、議会改革に取り組むことが求められていると共に、主権者も普段からその動向に関心を持つ必要がある。

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