2011年4月13日水曜日

東日本大震災 2

早くも一ヶ月が経過しましたが、収束の見通しのない原発事故、続く余震、被災地の方の疲労を思うと胸が痛みます。

先日YMCA関連の団体が現地からの要請を受け、収集した物資を届けるミッションに参加しました。4月8日(金)深夜横浜を出て交代で運転、東北道を通り仙台のコースです。幸い速度規制の区間があるものの順調でしたが照明の落とされた道路の運転は疲れるものです。サービスエリアでの給油はスムースになっていました。

6:30には仙台YMCAに着。驚いたことにすでにかなりのスタッフが出ていました。聞くとボランティアの方々が7時頃にはみえるからとのことで、人の善意に頭の下がる思いでした。

スタッフの先導で最も被害が大きい地区の一つで、支援が届きにくい場所へ向かいました。自衛隊の作業がなければ道路寸断のままとのことで、高校の修学旅行で訪れた松島の変わりように息をのむばかり。仙台から1時間ほど目的の東松島市(平成17年合併して発足)に入ると、その状況はさらにひどいものでした。

人口約4.3万人の内4月11日現在、900名余りの死者を数えまだ増え続けています。行方不明者数は一家全滅なら届けさえないので、把握が1ヶ月経ってもできないというひどさなのです。
*4月13日午前10時警察庁発表に東松島市の行方不明者776人が新たに加わり、合計で1万5150、死者と合わせると2万8483人となった。

避難場所に着き要望のあった物資を届け、子供たちへのお菓子がみんなに喜ばれたのは嬉しいことでした。しっかりした小学高学年の女の子を先導してくれたスタッフが、ああした子供たちに20年後の街づくりをしてもらわなければならない、といったのが印象的でした。視察と称して議員等が避難場所に行きますが、憔悴し不安な被災された方を思うと、私は足を入れることができませんでした。帰り際世話を焼いている年輩の女性からまた来てください、といわれたときに国が敏速に仮設住宅にしろ対応すべきと感じました。

その避難場所では自衛隊が炊き出しも行っていて、瓦礫の撤去作業だけでなく本当に若い隊員も親身に働いている姿に打たれるものがありました。暴力装置と言ってのけた閣僚がいましたが、今どう思っているのでしょうか。

復興への道程は自治体によっても異なるでしょうが、東松島市では過去宮城県沖地震などがあって、耐震住宅を始め整備されていたとのことです。しかし今回、津波の第1波がそれほどでなく、第2波で甚大な被害を被ることになったとのことで、慣れもあったのかもしれません。

4月7日の余震でやっと復旧した電気水道が再び止まり、幸い電気は回復したものの水道は止まったままです。ライフラインの回復、仮設住宅、生活支援、そして何より街の形をどうするか、今までのままならいつの日か再び被災も考えられ、高台への住宅建設など都市計画の策定が必要でしょう。 

私たちができることは限られています。しかし震災直後の都市部での買い占めなど、全く被災地を考えない恥ずかしい行動と知るべきです。また原発の電力が、首都圏で消費されていた実態も知らなければなりません。東京電力は原発事故はとうぜんながら、ずさんな輪番(計画)停電や、さかんに広告していたオール電化生活も反省してもらう必要があります。

国民等しく、これまでのテクノロジーで支えられた便利で快適な生活が当たり前に続くことはない、と知らなければなりません。その上で政治、行政には高いモラルと高い志気が求められているわけですから、私たちは常に厳しく見据えておかなければならず、何となく過ごすことのできない、真に自己責任の世の中になったと認識しなければならないでしょう。

*写真は支援物資輸送のステッカー、TVで見るのと違い息をのむ被災地、避難先で物資を手渡しするメンバーと自衛隊員

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