安倍内閣改造前石破前幹事長がTBSラジオ・デイキャッチに出演した際の発言と、嘗て小泉元総理が二回目の自民党総裁選に出た後のデイキャッチを対比させたい。
考えが異なるから安全保障法制担当大臣は受けられない。幹事長続投を求めるとリークしていた石破前幹事長は、番組でも明言した。元来人事は組織運営の要諦であり、人事権者はその長である。安倍総裁に放送を通しての公言となり、最も控えるべき言辞だった。後に反省の弁を述べたが遅く、組織が分かっていない、総裁と幹事長は夫婦の仲、意志の疎通を欠いていたと評された。石破は総裁選地方票で、安倍を倍する得票があったことの自信がこうした発言に繋がったのだろう。しかし戦いが分かっていない。比べ安倍は改造前の内閣で総裁選を戦った石破を幹事長、石原を環境相、林を農水相、また谷垣前総裁を法相、元総理の麻生を副総理・財務大臣起用と人事の要を押さえている。今回も麻生副総理、失言のない菅官房長官(当たり前で面白くないといえるが、それがなかなかできない)等骨格を留任させ、一時小渕を幹事長(読売新聞は確定的な書き方をした)起用のサプライズも考えたが無理で、代わりに谷垣前総裁を幹事長に指名。常識的でない人事となった。組織のトップに立った者が格下になることは通常ないが、今や安倍総裁(総理)が二度目、総理総裁を務めた麻生太郎も引き続いての副総理と人事の常識は通用しなくなっている。しかもそれぞれ総理総裁の目もあるかと思わせながら閣内、党四役に囲い込んでいる。石破は来年総裁選出馬をにおわせたかったのだろうが、稚拙な動きで野に下ることもできず閣僚の一員として、安倍を支えると言わざるを得なくなり、戦略が狂うことになった。軽くなったといえ、政治家の発言はやはり重大な結果をもたらす。
この所即原発ゼロと趣味の世界にのめり込んでいる小泉元総理だが、16年前(1998年)2度目の自民党総裁選の後デイキャッチに出たことがある。面目躍如だったのが、アナウンサーがそろそろ小泉さんがお見えになる頃・・・といった矢先に「あ、来られました、あれ秘書の方は・・・」、小泉「呼ばれたのは私ですよね」、アナウンサー「そうですが政治家の方はまず秘書の方がみえて・・・」、小泉「いえ議員会館からも近いので一人で歩いて来ましたが、そういえばTBS入口で守衛さんにどなたですか、どちらへ行きますかと聞かれましたよ、まだ知られてませんね・・・」、アナウンサー「それは大変失礼しました」と、こんなやりとりから始まり大爆笑。元々赤坂には行きつけの小料理屋があり、後年孝太郎がTV番組の取材に訪れた。総理になる前は議員宿舎近く、高輪台交番近くのコンビニで夜遅く弁当をよく買っていた。その後は失敗したとはいえ意気軒昂、持論の財政改革、郵政民営化を熱っぽく、しかも普通の言葉で語ったのを覚えている。三度目の正直で総裁になり、国民の熱狂的支持を得て小泉劇場を続けることになるが、偉ぶったり形式を重んじたりの旧来と全く異なる政治家像を創っていった。格差を生じさせたとか、郵政民営化は間違っていたなどという向きもあるがそれは違う。勿論全てがよいなどということはない。事後の検証と改善を行わなければならないのは当然のことで、それなしに非難は当たらない。都道府県知事、政令市市長の退職金が一期で4千万円を越えるなどというのはおかしいといい、国会議員の年金があまりにも優遇されているとして、廃止したのは小泉なのである。郵政選挙は小選挙区制と政党政治を熟知した小泉の勝利だった。普通の言葉でエポックメイキングな政策を実現した希有な人と言っていいだろう。
もう忘れているだろうが、国民年金未納問題が国会を賑わし、浪人中だった小泉が恩を受けた会社社長に話が及んだとき、残念なことに亡くなられたと答弁したが、なんと存命だった。それを鬼の首を取ったように攻める野党議員に、それはよかったよい人は長生きするのだと答えた。閣僚席には石破が防衛庁長官として座っていてはらはらだったが、総理は天才だと思ったとあるところで述懐していた。
信念と共に当意即妙、どのような場面でも一度溜めてから対応の余裕が必要。石破地方創生相には場数を踏み主権者から愛される「普通の人」になってもらいたい。
*写真:Wikipedia
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